コーヒー豆の産地・コーヒーベルト
コーヒーはアフリカをはじめとする、赤道直下の地域でおもに生産されています。青い実が赤くなるとそろそろ収穫期になります。この赤道直下のコーヒー産地のことをコーヒーベルト地帯ともいいます。
アフリカ大陸北東部にあるエチオピアの高原で、「モカ」、タンザニアの「キリマンジャロ」、アンデス山脈のあるコロンビアでは「コロンビア」、インドネシアのスマトラ島の高地では「マンデリン」、そしてジャマイカのブルーマウンテン山脈の標高800m~1200mでは、高級品として知られる「ブルーマウンテン」が生産されています。
良質なコーヒー豆の産地に共通するのは、いずれも高地での栽培をしていることで、夜と昼の寒暖の差が美味しいコーヒー豆を作るとされています。
珈琲豆の産地について
日本の珈琲専門店や喫茶店、カフェで特徴的なのが、ストレート珈琲が味わえることです。「モカ」「キリマンジャロ」「マンデリン」「コロンビア」「ブラジル」「メキシコ」「ハワイコナ」「ブルーマウンテン」など、それぞれに特徴のある味を楽しむことができます。
こういったアラビカ種の他に、ロブスタ種を置く店もあります。ロブスタ種は、酸味がほとんど無いのが特徴です。
こういった多くのコーヒー豆は、ほとんどが赤道直下の地域で栽培されたものです。珈琲の木の原産はエチオピアだとされていますが、珈琲が世界に広まっていった経緯については、エチオピア説とアラビア説の2つがよく知られています。
どちらが正しいかは諸説入り乱れはっきりしないようですが、最初は煎じて飲むという今のスタイルではなく、珈琲の実自体を食用にしていたようです。
タンザニア産のコーヒーとして人気があるのがキリマンジャロです。赤道直下のコーヒーベルト地帯でも、標高が高く昼と夜の寒暖の差が大きいところほど、良質のコーヒーができるとされています。
日本へ珈琲が入ってきたのは、鎖国時代の1700年ころ、長崎の出島のオランダ人からというのが一般的です。
明治時代に珈琲の生豆を輸入したという話もありますが、一般家庭で多くの人が珈琲に親しむようになったのは、戦後になってからと考えていいと思います。
ただし、ハイカラ好きの旧日本帝国海軍ではコーヒーもかなり広まっていたようで、戦記の中にもコーヒーが出てくる部分が多くあります。
戦後には、旧軍が群馬の繭倉庫に大量に保管していたコーヒー生豆が勝手に売り出されるという事件が起きて新聞沙汰になりました。「群馬珈琲事件」です。
現在も続く銀座の名店「カフェ・ド・ランブル」の初代のマスター、関口一郎さんの著書「銀座で珈琲50年―カフェ・ド・ランブル」の中で「非常に良い管理状態に置かれた豆だった」と群馬珈琲事件の豆を大量に購入した経緯が書かれています。
コーヒーベルト地帯
コーヒーの木は基本的に寒さに弱いので、赤道直下北緯25度線と南緯25度線の間を「コーヒーベルト地帯」と呼び、ほとんどのコーヒー豆がこのラインの内側で生産されています。
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